宮本さんは早稲田大学の先輩でした。どのくらい上でしょうか、まだ63歳でしたから。
川渕さんよりいくつか下で、釜本さんよりいくつか上で…。病気なんて全然知りませんでした。
いやもう残念で…わかっていればお見舞いにも行ってたと思うんですけど、全然知らなくて…。突然、聞いてびっくりしました。
宮本さんとは、いくつもの思い出があります。
エスパルス監督時代は、あの歳でも練習が終わったあとにはクラブハウスで筋トレをガンガンやってね。「趣味、筋トレ」なんて言っていましたよ。グランド離れたら本当にいいおじさんって感じでね。
人間味溢れるところもありました。当時は、遠征いく前は練習が終わってから日本平の下のグリーンハウスで昼ご飯を食べることが多かったんです。宮本さんも単身赴任でしたから、よく来ていて、ある暑い日、「みんなに見えないようにビールを急いで飲んで行ったよ」とグリーンハウスの人が言っていたことがありました。ビールを飲んでいるところを選手に見せてはいけないと思っていて、慌てて飲んだんじゃないかな…あの人らしい気配りだと思いました。
2、3年前、電話がかかってきて、V6だかスマップだかの「チケットとれないか?」って私に言ってきて、無理ですよと答えたら「あっ、そうか。芸能界に誰か友達いないか?」って聞かれたことがありました。以前、テレビ番組の運動会に出たのを観ていたのでしょうか…友達はいないんですよ、すいませんって返事をしたことがありました。
実は、宮本さんがエスパルスの監督になるって聞いて、やばいな!って思ったんですよ。“大あくび”と大学時代に言われてたから、私みたいなタイプは嫌だろうなって思っていたんです。宮本さんは私が早稲田に入った年の、ちょっと前まで早稲田の監督で、早稲田の3・4年生の人はよく知っていました。私が入学したばかりのとき、宮本さんは練習を見ていたらしく、そのとき私はあくびをしたみたいで「大榎じゃなくて、あいつは大あくびだ!」って宮本さんが言ってたぞって先輩から聞かされたことがあったんですよ。
1995年、宮本さんが監督のときは、エスパルスはいい時期ではありませんでした。前期12位ぐらい、後期は4位ぐらいで…結果がついてきませんでした。しかし、どうにかチームとしてやっていけるメドがついてきたので、宮本さんが次の年も当然やるだろうな!と思っていました。サッカーに対して情熱家で信念を持った人でしたから。そうしたら「やめる!」と言ってね。驚きました。私をけっこう評価してくれて、チームのいろんなことも聞かれるようにもなっていましたし、もう一年一緒にやりたかったという気持ちが、強かったです。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。